旅の記憶

  ホテルの部屋は禁煙なので、朝起きて1階の喫煙所に行こうと部屋を出てエレベーター・ホールに行くと、昨日からは信じられない程の青空が窓から覗いていた。僕は少し嬉しい気分になって到着したエレベータに乗った。

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  5月3日から2泊、僕たち家族は千葉の勝浦へ旅行に行って来た。家族旅行は去年のゴールデン・ウイーク以来だから実に一年ぶりである。この一年間は娘の高校受験の関連で娘も僕たち親も、かなりの労力とお金を使った。娘にとっては合格記念旅行と言えるだろうし、僕たちに親にとっても今までのお受験プレッシャからの開放記念と言えなくもない旅行であった。
「高校受験で大袈裟な」と思われるかもしれないが、学校の担任から「行ける学校がない」と言われた我が家にとっては大変な事態だったのだ。娘は人間が変わったように猛勉強し、人並みの学力までを得るようになったが、彼女自身が一番「後悔先に立たず」を身を以て感じた事だろう。「勉強しろ」と一切言わなかった親の責任もある。小さい子を持つ方には、たとえ子供が勉強嫌いでも、最低限は「勉強しろ」と子供に言うのをお勧めする(つまり僕も「後悔先に立たず」を身を以て感じた訳なのである)。

  初日は大雨。電車が止まってしまったり、避難勧告が出てしまった地方もあるくらいの大雨だった。東京も朝から凄い雨で、雨男の僕としてはなんとも複雑な気分で今回の旅行は始まった。
  我が家の旅行では珍しく遅めの時間の出発だったので、ゆっくりと支度をしてお昼に東京駅に到着。東京駅は驚くべき事に改札を出なくても色々なモノが買えるように出店されていて、下着から食品まで何でも買える。我が家も宿泊先での(僕の)下着と電車の中で食べる駅弁を調達し、京葉線のホームへ。ここから特急「わかしお」で勝浦まで一気に移動である。

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  勝浦駅に到着すると雨は止んでいた。
  しかしそれは一時的に止んでいるだけで、空は今にも再び泣き出しそうな状況だった。勝浦駅前は無彩色の世界だった。写真を見てその無彩色っぷりにビックリした程だ。

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  ホテルからのシャトルバスに乗ってホテルに向かう。
  ホテルはどちらかと言うと山側にあるので、かなりの距離を移動する。駅から5分も走ると左側に海が見えて来た。海の色も空の色と同じ灰色であった。並みは高く荒れているようだ。サーファーがチラホラ見える。彼らにはちょうど良い波模様なのかもしれない。

  ホテルに到着すると、部屋に案内される。畳の部屋とリビングのある、わりと広めの部屋だった。ベットの代わりに大きなソファが二つあって、子供達はさっそくその上で飛び跳ねていた。
  天気予報を見ると明日もさして天気は良さそうではない。大雨の被害も続々と報道されていた。別段僕のせいではないのだけれども、何故か申し訳ない気持ちがした。

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  そして一夜明けると晴天だった。
  昨日の雨で木々から蒸発した水分が霧となって幻想的な雰囲気を醸し出していた。

  僕はホテルのエントランスの喫煙所で缶コーヒーを片手に煙草を吸いながらウグイスの声を聞いた。ホテルマンに聴くとここでは不思議とほぼ一年中ウグイスが鳴いているという。最初はホテルが流しているテープだと思っていたのでビックリである。 

  僕たち夫婦は良く歩く。
  普段から時間を見つけては2人で良く散歩をする。旅先に出れば尚更の事である。朝食を食べた僕たちは子供達を置いて2人で散歩に出た。

  ホテルは山の中腹にあって、周辺は別荘地。商店も何もない。僕たち夫婦は痛い程の日差しの中、歩き出した。

  ずんずんと山を下っていく。恐らくここら辺では歩く人は少ないのだろう。別荘地を過ぎると突然道路の歩道が無くなり歩く僕らの横をもの凄い勢いで車が通り過ぎていく。それでも僕たちは山を下り海を目指す。ホテルのベランダから見えた海は近いようで意外と遠かった。南国調の建設資材置き場を横目に僕たちは進む。

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  ホテルからジュースの自動販売機に遭遇するまでおおよそ3キロの道のりがあった。
  その自動販売機の置いてある所は酒屋だったので、僕たちはジュースのかわりに缶ビールを買って先に進む。普通の路地の先に海が見える。僕は一度も経験した事は無いが、なんだか懐かしい感じがして、それでいてワクワクするような感じがした。僕たちはその路地の先の海ではなく、少し遠回りして海を目指した。

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  トンネルを数個抜けるとそれは突然あった。どうやら海関係の博物館も併設さてているらしいが、海の真ん中に円筒形の建物が建っていた。そこから通路が延びて、まるで子供の頃観た未来のSF映画のようだった。空は晴れているけれどもまだ波は高く、なにやら幻想的な光景だった。

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  暫く2人でその幻想的な風景を眺めたあと、僕たち夫婦は再び歩き始めた。
  ホテルへ戻る方向へ向かって、途中の商店街とは呼ぶにはちょっと躊躇するような商店街を抜け、再び缶ビールを購入して飲みながら歩いた。床屋の前のガードレールは床屋の電飾のようなカラーリングに塗られていた。そのかわり床屋特有のくるくるの電飾はなかった。

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  まだ日は高かったが僕たちはホテル向かって歩いた。ここは千葉で、特に南国と言う訳でも無いのだけれども、路地に咲く花とかが妙に南国をアピールしていた。

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  1泊だと疲れにいくような物。2泊だとちょっと物足りない。でも3泊だと飽きる。
  毎度のように有名どころを訪れる事をしない僕たちの旅は、こうやってほぼ散歩で終わる。3日目はチェックアウ時間ギリギリまで部屋に居座って勝浦を後にした。帰りの特急のかなで、この夢のような時間も終わりを告げるんだなと、妙にセンチメンタルになった。旅の終わりというのはいつでもセンチメンタルな気分になるのだろう。

  ちなみにホテルに放置された子供達は各々、ちゃんと旅行を堪能されたようである。彼らは彼らでホテルという異空のなかで、忙しい現実を離れゆったりと過ごしたようである。 

桜に負けてない

  今日は薄着で出掛けたのにも関わらず、東京は汗ばむくらいの陽気だった。
  路地には地元の人が植えたのだろう花々が、綺麗に咲いていた。

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  桜に負けてない。と、思う。

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  元々植物に興味が無かったので、花自体は知っているが名前が解らない自分が悲しい。これは有名な花なのはわかってる。

  小さな花の図鑑でも買ってこようかな。

さくらのトンネル

  昨日は無いと書いたが、実は強烈な印象と共に残っている桜の記憶が一つ、ある。

  地元には中野通りという桜の名所がある。中野サンプラザの前から哲学堂付近までずっと街路樹に桜が植えられているのだ。実家からは歩いて5分程の距離にあるのに、学生時代には特に気にして桜の季節に見に行くような事はなかったし、社会人になって少し離れた所に住むようになってからは尚更だった。

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  そんな中、社会人になって10年目くらいの頃だろうか、僕は精神を病んで休職するハメになった。丁度同じ頃、会社の経営が悪化し、事務職は全員解雇という事も重なり、これから春が来るというのに、重苦しい精神状態はさらに悪化していた。

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  2月から休職していた僕は、家を出る事も殆どなく、一日中部屋にこもる事が多かった。そのうち症状は次第に良くなり、会社の役員が次に勤められる会社も見つけてくれ、その会社へ勤める事は決まっていたのだけれども、まだ自信がなかった。

  少しは外に出て散歩程度は出来るようになっていた3月の終わり、まだ保育園に通っていた娘を連れてぶらりと散歩に出る事にした。
  その年は確か暖冬で、もう3月半ば頃から暖かい日々が続いていた。昼過ぎだったと思う。自宅を出て理由は解らないが中野に向かって2人で歩いた。鍋屋横町からなかのZEROホールの横を抜け、新井薬師から中野通りに入った。そのとき、娘が空を仰いで言った。
「わぁ、さくらのトンネルだ」

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  下を向いて歩いていた僕はその言葉に促され、上を見た。
  圧巻だった。桜が満開で、空が見えない程だった。なるほど桜のトンネルだった。

  僕はこの光景を知っていた。しかし今までなんにも気にしないで生きて来た。綺麗だなとは思った事があったかもしれないが、こんなに感情を揺さぶられた事は無かった。
  2人で哲学堂方面に向かって歩いた。西武線と交差する所に小学校があった。小学校では丁度卒業式が行われていた。僕たちはその光景を眺めると、回れ右をして手を繋いで家路についた。中野通りを使って。

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  帰り道、僕たちはずっと桜のトンネルを見上げながら帰った。何を話していたかは覚えていない。たぶん「綺麗だね」とかそういう他愛もない事だろう。

  満開の桜は、既に散り始めていて、風が吹く度に花びらが街路に舞っていた。それは桜の花の、その季節の一番最後の、最も美しい瞬間だったのだろう。何故だか解らないけれども、なんだか心が晴れ渡っていくような気分だった。 

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  そして4月1日。
  僕は新しい会社に通い始めた。 

 

さくらの記憶

  娘の入学式に行って来た。
  高校の校門には大きな桜の木が植えてあって、新入生を祝福するかのように、それは満開だった。 

  自分の入学式を思い出してみると、コレがことごとく思い出せない。唯一小学校の入学式に桜が満開だったような記憶があるが、小学校の入学式のなどは、桜をモチーフにした小道具が多数出現するセレモニーなので、実際の所ははどうだか解らない。ヒトの記憶というのは実に曖昧でしかも簡単に書き替わってしまうものなのだ。

  桜についての記憶を辿ってみると、コレも意外と最近の事ぐらいしか引き出しから出てこない。はっきりと満開の時期に何をしていたかなんて、友人の結婚式が数年前あったのを覚えているくらいで、あとはせいぜい社会人になってから中野通りの桜のトンネルの写真を撮りにいった程度の事で、学生時代は何をやっていたなんて全く覚えていないのだから困った物である。

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  若い頃は時間は無限にあるような気がしていた。でもある時に自分の持ち時間は有限である事に気がつく。気がつくとついついカウントしてしまう。僕は39回の桜を(覚えてはいなくても)見て来た筈だと。そして先も考えてしまう。あと何回見れるのだろうかと。そしてそうなると突然興味も無かった花を愛でるようになる。そうか、花に興味が無かったから桜と自分の記憶が結びつかないのか。しかし娘はそんな事を思いもしないだろうし考えもしないだろう。多分彼女には、まだ時間とは永遠に続く筈のモノだから。

  時が経ち、自分の人生を振り返る瞬間が来て、彼女は今日の事を覚えているだろうか? 自分の新しい門出を祝うかのように桜が満開だった事を。そして自分の持ち時間が有限であると言う事を自覚するとき、桜を見ながら何を思うだろう? そんな事を考える今日、僕はどうしてしまったのだろう? 桜の花の儚さがそうさせてるのだろうか。