絶望王子

  我が家の家族は寝起きが非情に悪い。非情に、と書いたのは察して欲しいから。

  朝一番に起きるのは僕である。だいたい午前4時半くらい。理由については他に譲るとして、5時半に娘を起こし、6時に奥様を起こし、6時45分に息子を起こす。

  だいたい誰もが寝起きが悪く、起こした僕に対して悪態をつく。さんざん悪態をついてやっとこさ起きるのであるが、一番寝起きが悪いのが、

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  息子である。

  まあ、色々な理由を付けて寝続けようとする技は感嘆に値する。
  そして起きてから色々な理由をつけては人生に(朝から)絶望しているのは息子である。絶望王子とは彼の事である。

  朝から飲み物がちゃぶ台に出ていないと絶望する。
  洋服に気に入った物がないと絶望する。
  気分にあった朝食がないと絶望する。
  宿題をやり忘れたら絶望する。

「も、だーめだっ」
が、朝の彼の常套句である。何もかもに絶望している。へたをすると学校に行かないんじゃないかというような勢いである(しかし、今の所無遅刻無欠席)。

  これは僕に似てしまったのだろうか。

  些細な事で絶望し、世の中を斜に見る。

  毎朝起こしている僕が、まるで昔の自分を見ているみたいで、もの凄く怖い。

  ダメ人間をまた一人作ってしまったようで……。 

  息子が絶望王子なら、すると僕は……絶望王??

人として軸がブレている

  手が震えるのは何故なんだろう?

  心臓がきゅーっと締め付けられるような感じは何なんだろう?

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  みんな平気なんだろうか。
  平気じゃないけど平気を装っているんだろうか?

  だとしたらみんな凄すぎる。
  とてもマネできやしない。

  もしかしたら僕は人として、軸がブレているんだ。 

  投げるのに失敗すると、駒が軸を中心として回らない時があるように、
  もしかしたら僕は産まれ落ちた瞬間から中心が定まっていないのかもしれない。

  手が震える。
  脚ががたつく。
  冷や汗が出る。
  思考がブレる。

  やはり僕は人として軸がブレているんだ。

  もう、開き直るしか無いのだろうか?
  開き直る事が出来れば簡単なのだけれども……。

 

  ……それでも、生きて行かざるを得ない

 

修行が足りない

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  OM-1を手に入れてすぐの頃の写真だ。だから10年は経っていないくらいだと思う。

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  今とたいして変わらない、というか、今もたいして変わらない写真ばっかり撮ってる。

  ……修行が足りないな。僕は何もかもが。

NERVOUS BREAKDOWN

  たがみよしひさのマンガではない。

  一難去ってまた一難。いや、二難か? いやいや三難だろう。おいおい三男坊まで出て来たよ(ごめん、自分で何を書いてるのか解らなくなってる)。

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  暇な振りをして通して来たら、どっちゃり仕事が出るわ出るわで、もう大変。でも暇な振りをする。暇な振りをすると、あいつはまだまだ仕事が軽いと仕事を増やされる。どうも「忙しい」と言うのが格好悪いと思うのでついついね、暇な振りをしてしまうのだ。でも見てみたまえ(大学の教授風)、湖を優雅に泳いでいる白鳥も水面下を見れば脚は大変な動きをしているのだよ(誰に言ってるんだ?)。

  残業すれば能力が無いと言われ、早く帰れば暇で良いねと言われ、じゃあオレ様はどうすりゃいいっちゅうねん!! と、星一徹のちゃぶ台返しばりに机をひっくり返したいのは山々だけど、生憎僕のデスクは重くてひっくり返すのは至難の業。腰をまたおかしくしちゃう。僕はこのストレスをどう処理すればいいのだろう?

  そろそろカウントダウンが始まったか? あぁ、なぁばす・ぶれいくだうん。再来か?

さくらの記憶

  娘の入学式に行って来た。
  高校の校門には大きな桜の木が植えてあって、新入生を祝福するかのように、それは満開だった。 

  自分の入学式を思い出してみると、コレがことごとく思い出せない。唯一小学校の入学式に桜が満開だったような記憶があるが、小学校の入学式のなどは、桜をモチーフにした小道具が多数出現するセレモニーなので、実際の所ははどうだか解らない。ヒトの記憶というのは実に曖昧でしかも簡単に書き替わってしまうものなのだ。

  桜についての記憶を辿ってみると、コレも意外と最近の事ぐらいしか引き出しから出てこない。はっきりと満開の時期に何をしていたかなんて、友人の結婚式が数年前あったのを覚えているくらいで、あとはせいぜい社会人になってから中野通りの桜のトンネルの写真を撮りにいった程度の事で、学生時代は何をやっていたなんて全く覚えていないのだから困った物である。

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  若い頃は時間は無限にあるような気がしていた。でもある時に自分の持ち時間は有限である事に気がつく。気がつくとついついカウントしてしまう。僕は39回の桜を(覚えてはいなくても)見て来た筈だと。そして先も考えてしまう。あと何回見れるのだろうかと。そしてそうなると突然興味も無かった花を愛でるようになる。そうか、花に興味が無かったから桜と自分の記憶が結びつかないのか。しかし娘はそんな事を思いもしないだろうし考えもしないだろう。多分彼女には、まだ時間とは永遠に続く筈のモノだから。

  時が経ち、自分の人生を振り返る瞬間が来て、彼女は今日の事を覚えているだろうか? 自分の新しい門出を祝うかのように桜が満開だった事を。そして自分の持ち時間が有限であると言う事を自覚するとき、桜を見ながら何を思うだろう? そんな事を考える今日、僕はどうしてしまったのだろう? 桜の花の儚さがそうさせてるのだろうか。